素人のための科学哲学・言語哲学に関する参考図書

僕自身、ド素人ですので、あくまでも素人向けの図書案内ということですが。
もし、科学哲学的なところを、多少なりともマジに考えようとするのであれば、やはり論理実証主義的な「(自然と対応する)真理としての科学」的な科学観から、クワイン流のプラグマティック(=ホーリスティック)な科学観への転回は最低限抑えておかなければならないのではないでしょうか?
ところが、残念なことに(?)このツボを抑えた図書が実際にはなきに等しいように思われます(僕の知る限り、ということですが)。


という訳で(?)、本職は倫理学なのですが、分析哲学に造詣の深い大庭健氏が記した『はじめての分析哲学』を、上記の転回を概観した図書として一押ししておきます。
素人(というよりは半玄人)の強みを生かして大雑把に問題点を掴み出す、風の図書ですが(本職はどうしても論の細かいところを詰めずにはいられないだろうから、このような大掴み的な本は書きづらいのでしょう)。


ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(僕は少し読んだだけ)を理論的支柱として、科学の真理性を担保しようと猪突猛進した論理実証主義
それがやがて内部から崩壊を起こし、クワインの「経験論の二つのドグマ」(『論理的観点から』所収、えーっと未読です)によって完全に息の根を止められたと。
本来ならカルナップ辺りにも触れるべきかもしれませんが、その辺はマニア向けってことで(僕自身未読ですし)。


冨田恭彦氏は、『科学哲学者 柏木達彦シリーズ』を書かれています。
小説タッチの科学哲学入門書的な位置づけで、「論理的な厳密さ」よりも「科学哲学への親しみやすさ」に比重が置かれており、そのせいか(?)マニアにはやや物足りないかも知れません。
同じ冨田氏の書かれた、『クワインと現代アメリカ哲学』(レビューなし)『アメリカ言語哲学の視点』(レビューなし)はよりマニア向けと言えるかも知れません


さて、プラグマティックな転回を遂げた言語哲学の一つの形がクワイン『ことばと対象』でありましょう。
分析哲学(ある種の言語哲学)が論理実証主義から発生したように、科学哲学と分析哲学言語哲学)にはある種の親和性がある。
科学は「もの」を対象にし、科学哲学は「もの」を対象にする営為(=科学)を対象にし、分析哲学は「もの」と「ことば」の関係を分析するものであるから。
ということで、クワイン流のホーリズムへと展開した言語哲学に関しては、クリストファーフックウェイ『クワイン』、丹治信春氏『言語と認識のダイナミズム』辺りを参照いただくのがよいでしょう。
ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』(少し読んだだけ)は自身の『論理哲学論考』(既出)を否定するような形で展開されています。


科学哲学というよりは言語哲学の図書案内になってしまったようですが…(まぁ、僕の関心は圧倒的に後者なので)
戸田山和久『科学哲学の冒険』『知識の哲学』、伊藤 笏康氏『人間に何が分かるか―知識の哲学』辺りが参考になるかなぁ?(あんまり覚えてないですが)
野家啓一氏あたりも参考文献に挙げるべきなんでしょうけど…(キリがなさそう)


そうそう、ポパーを忘れてた。
ポパーの批判的合理主義は、プラグマティズムと相反するわけではないですが、科学哲学の重要な一分派を形成している(し、個人的にも、批判的合理主義的な科学観は必要不可欠だと思っている)。
ポパー本人の著書ではないですが、『批判的合理主義の思想』を挙げておこう。
ポパーは決して「これこそが真理だ」という言い方を認めませんが、真理概念は手放さなかったようです(ポパー流の真理は、絶えざる批判の果てにうっすら浮かび上がる、風にイメージされますが)。
その点が僕とは対立するかも知れません。


最後にデイヴィドソンに触れるのは、やや躊躇いもありますが…(どれほど自分が理解できているのか、全く自信がありませんので)
森本浩一氏『デイヴィドソン』デイヴィドソン『真理と解釈』辺りを挙げるくらいなら許されるかな?


あくまでも素人による文献案内でした。
関心のある方は、それなりの人のサイトなり文献を参考にすることをお勧めします。